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【7期生】出発式

2008/7/26 夢甲斐塾の7期生出発式



記念品贈呈柴田

出発式集合




去年、入塾したのがあっという間でした。




出発式のセレモニー自体は、敷島総合文化会館をかりて行いました。




夜は懇親会、といっても甲府ユースホステルまで移動してのバーべQ&キャンプファイヤーです。

バーべQ

ダンス

夜




2008072619470001.jpg




8期生も交えての懇親会だったので、40人ぐらい




キャンプファイヤーは木製のパレットを重ねました。


炊きつけ用として、我が家の要らないラティスフェンスを薪にして入れてあります。




写真には無いですが、自作の松明で、女神さまが火の神様に火を渡したり


ちゃんとセレモニーッぽくやりました。






世界に一つだけの花、の合唱からはじまり、


マイムマイムなどのフォークダンスもみんな楽しんで踊りました。




この火が鎮火してから、最後のイベント 肝試し が始まります。




さすがに写真は無かったですが、怖かったですよー。


と思う。(お化け役なので)






次の日は、出発式第2部の思い出登山です。




登山と言っても、昇仙峡ロープウェイで登って15分くらいです。




でも、疲れました、かなり・・・・・。




写真は、荒川ダム




17年前に来たときは、木が生い茂ってなくてもっと眺めが良かった気がしました。






頂上はこんな感じです。




写真ではわかりませんが、けっこう怖いです。




2008072710530000.jpg



頂上での記念写真




天気も良くて最高でした!













【7期生】第8回 武田の史跡めぐり 信濃上田編

第8回 武田の史跡めぐり 信濃上田編

2,008年6月15日(日曜日)

今回は、長野県上田市まで遠征史跡めぐりです。

参加者は、
斉藤さん、斉藤さんの娘2人、堀内さん、真壁さん、浅川さん、柴田でした。

8時30分に集合し、途中で峡北組と長坂バス停留所で合流し諏訪経由で上田市に向かいました。

・上田城

真田十勇士


上田城の前で記念写真
上田城といえば真田!
気分は真田十勇士です。
でも、ほとんどが30歳代です。

上田城では、大手門の中と、別棟にある真田の資料館をじっくりと見学。
みんな熱心に勉強していました。

真田神社御朱印


上田城内に真田神社がありまして、参拝してきました。
ここでは御朱印をいただきました。
御朱印を眺めているとありがたい気持ちになります。

・砥石城


午後は砥石城へ
ここで砥石城の御勉強を少しだけ
 

戸石城は、あの信玄が人生最大の敗北を喫した「戸石崩れ」の場所として有名です。
力攻めに及ぶこと一ヶ月、神川の断崖に面し「砥石」のように鋭く切り立った戸石城は全く陥ちる気配もなく、ここで信玄はやむなく撤退を決意するのですが、村上義清本隊の激しい追撃を受けます。
世に言う「戸石崩れ」とはこの退却戦での惨敗を指し、力攻めの失敗、というよりも「進退の時期を間違えた用兵ミス」が損害を大きくしてしまったのでしょう。
ところが!そのわずか数ヵ月後、驚くべき事態が発生します。知謀の将、真田幸隆によって戸石城は乗っ取られた、というのです。この地に多くの縁故を持つ幸隆の調略・説得が功を奏したのは間違いないでしょう。


というわけで、現地現場で学ぶということで
実際に砥石城へ上ってみました!

ふもとから登ること30分
恐怖を感じるほどの急勾配
ロープ無しでは登れないところもあります。
これでは、さすがの信玄も攻め切れなかった訳が実感できます。
現場での肌に感じる学びですね

そして、頂上についてみると

頂上2

いい眺めで、なんとも言えない爽快感です。


頂上


下りは少しばかり余裕がありましたので
写真を撮りました。

下山1

下山2

下山3

下山4


みんな顔が本気です。

このように辛い経験を共有するのって、一体感が生まれてよかったですね。

今回いけなかった方からも、行きたいとのリクエストがありますので
ぜひ、次の機会は行きましょう!

【7期生】夢甲斐カフェ 第3回目

カフェの様子

毎月7日は夢甲斐カフェの日。
みんなで集まって、塾生同士で学びあう日です。

今回も(訳あって)前回と同じパステル画

やりだすと、はまってしまいます

みんな、黙々と作品を仕上げていきます。

夢甲斐カフェ2全体


夢甲斐カフェ2作品

同じように作っても、個性が出るのがパステル画。

その人なりの良さが出て、いい作品がたくさんできました。

堀内画伯有り難うございました。

2008年 信玄公祭り

山梨の最大のお祭り「信玄公祭」に
夢甲斐塾も出店してお祭りの活性化に一役買います!!
メニューは、定番の焼き鳥!をメインに新商品のフランク、子供に大人気の水あめです。
あと、ペット飲料も売りました。

ブース準備
前夜祭の前、ブースの準備中です。

胡衣姫
夜のイベント、胡衣姫コンテスト
皆さんステキな方でしたが、個人的に押していた方は落選でした。

広場
3日の目の広場の様子
3日間とも好天に恵まれ、多くの方が訪れていました。

ブース
ドリームレッドも頑張っています。
ゴーレンジャーと間違えられて大人気でした[:楽しい:]


飛ぶように売れ、仕入も次々と追加しましたが全て完売!
最後に、水あめを折りきるべく矢島代表が全力で呼び込みしています。

最後には、全て売り切れ!!
お祭りに訪れるのもいいですが、このように運営側になるのも楽しいものです。

【7期生】史跡めぐり 韮崎

夢甲斐塾の史跡めぐりのブログです。




━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─







参加者   横山、真壁、金丸、柴田

行き先   11時00分 韮崎市役所集合

      11時15分 武田八幡宮

      11時50分 願成寺

      12時45分 新府城

      14時30分 解散





・武田八幡宮



武田八幡宮は弘仁13(822)年勅命により土地の神、武田王の祠廟に九州宇佐八幡を勧請し併祀して創建されたという。武田王は日本武尊の御子で武田村の桜の御所でこの土地を治められた。さらに清和天皇の貞観年間(859~76)に京都石清水八幡を勧請し甲斐武田氏の崇敬をあつめた。特に新羅三郎義光の曾孫信義は武田八幡宮の社前で元服し武田氏を名乗り甲斐武田が発祥した。

武田晴信(信玄)は父信虎の本殿再建を引き継ぎ天文10(1541)年12月23日に竣工させた。雄大な姿と華麗な装飾を備えた本殿は昭和4年国指定重要文化財に指定された。勝頼夫人は新府城落城の寸前の天正10(1582)年2月19日氏神武田八幡宮に勝頼の戦勝と武田家の繁栄を祈願し切々たる願文を奉納した。徳川家からは27石余りの御朱印を与えられ保護された。









二の鳥居

神社、お寺は、鳥居から拝見するのが一番美しいそうです。

この武田八幡宮の鳥居は道路のど真ん中です。

韮崎の方々が守ってきたのでしょうね。





武田勝頼の正室、北条夫人の願文の解説です。



「北条夫人は高貴で気高い人柄で、周囲の人々に良い影響を与える淑女であられます」恵林寺の快川和尚が、北条夫人と対面した時の印象だそうです。







武田八幡本殿



本殿



天文10年(1541)に武田晴信(信玄)が再建したもので、三間社流造で、屋根は檜皮葺。国の重要文化財に指定されている。尚、本殿裏手には若宮八幡神社本殿(県指定文化財)が建てられている。







武田八幡記念写真



・願成寺



武田の祖、武田信義公が累代の祈願所として再興した寺、願成寺。ここには平安文化を伝える寺宝、阿弥陀山尊像が安置されています。木造阿弥陀如来像、その両脇に観世音菩薩、勢至菩薩が控え、荘厳で上品な姿に心が洗われるようです。





武田の祖、武田信義のお墓

800年前の方のお墓におまいりさせていただきました。





願成寺記念写真



・新府城



歴史

天正三(1575)年の長篠・設楽ヶ原合戦で大敗した武田勝頼は、一門衆の穴山信君(梅雪)の進言で甲府・躑躅ヶ崎館からより要害の効く七里岩の断崖上に新城を築くことを決め、真田昌幸を普請奉行に任命した。天正九(1581)年に築城が始められ、そのわずか九ヵ月後の同年12月に普請なかばで入城した。そのわずか三ヵ月後の天正十(1582)年二月、木曾義昌の離反から織田・徳川の甲斐侵攻が始まり、未完の城では大軍を支えきれないと判断した勝頼は城に火を放ち落ち延びた。この時、岩櫃城に退くことを進言した真田昌幸の言を入れず、小山田信茂の岩殿城を目指したが、三月十一日、笹子峠で信茂の謀叛に遭い、岩櫃城を目指して天目山に分け入ったところを滝川一益の軍に遮られ、勝頼父子は自刃して果てた。新羅三郎義光以来28代続いた名門、甲斐武田氏は滅亡し、新府城は最期の城となった。新府城の残骸では、甲斐に攻め入った織田信長や、本能寺の変の後、甲斐・信濃に侵攻した徳川家康が陣所として利用したこともある。



名門・甲斐武田氏の最期の城になってしまいました。もともと先代の信玄は「人は石垣、人は堀」の歌で知られるように、領国内に城は構えず、人心収攬こそ最大の防御、という信念を持っていましたが、この天正十年前後の情勢では、長篠設楽ヶ原での敗戦が尾を曳いている上、極度の緊迫状態から、要害堅固な城を構えざるを得なくなっていました。



この築城は穴山信君の進言で行われ、その信君の領地にある「七里岩」と呼ばれる断崖絶壁がその城地に選ばれましたが、実はこのとき、すでに信君は徳川に通じていたといいます。一門衆のなかでもとくに信玄との繋がりが濃い信君は、若年でしかも諏訪氏の血を引く勝頼をいつも見下していたといいます。そして、徳川に通じた信君は、武田家の経済基盤を破綻させるためにこの築城を進言したというのです。それは見事に当たってしまい、材木の調達を命ぜられた木曾義昌が真っ先に離反、また強引な遷都に快く思わない重臣、積もり積もる戦陣の軍費調達のために酷使される民衆の不満が頂点に達し、にっちもさっちも立ち行かなくなった、と。



よく勝頼は短慮で浅はかな大将であった、と思われていますが、果たしてそうだったのでしょうか。父信玄があまりにも偉大すぎたこと、諏訪の血を引く自分に家臣が着いて来なかった、頼みにしていた本願寺勢力が防戦に四苦八苦で頼りにならなかった、など、勝頼が自分の力を発揮できないような周辺環境が彼の評価に大きく影響したのではないでしょうか。なにより、織田の勢力が強大になりすぎ、それに比して家臣団を始めとした領国がまとまらない状況では、勝頼でなくても立ち行かなくなっていたことでしょう。勝頼自身は、武勇にも知略にも優れ、また外交面での努力も伺えたと思っていますが、やはり「天の声、地の利、人の心」の三拍子が揃わなかった、武運に見放された、ということですね。やっぱ一番悪いのは信君だと思うけど。



城は断崖絶壁の「七里岩」を最大の要害としていますが、山城というよりは後世で言うところの平山城でしょう。しかしいくら地形が堅固でも、やはり普請が未完成な印象は否めません。とくに北側の出構えなどは、いかにも応急処置的で、本来ならばさらに曲輪を築く、堀を重ねる、土塁または石垣の外郭線を築く、などの工夫があっても良かったところです。二重の土塁虎口などを見ていると、普請奉行の真田昌幸は、自らの居城・岩櫃城をモデルにプランニングしていたのでは?とも思われます。しかし、それらは陽の目を見ることもなく、逆に在城三ヶ月にして自落という哀しい終わりを迎えます。この新府城で戦闘が行われたわけではないのですが、この時点で命運が定まってしまったのかも知れません。



なお、見学中に盛んに鉄砲のような音が響いていましたが、なんと釜無川対岸にライフル射撃場があって、その音だということがわかりました。新府城の廃城後、400数十年を経てもなお、勝頼は鉄砲の音から逃れられないとは・・・せめて安らかに眠らせてあげて欲しいと思うのだが。







新府城の階段

20代、30代の我々でもバテバテになりながら登りました。





本丸でのランチ



勝頼の想いにはせながら、お昼ご飯をいただきました。

それにしても、広いお城の跡地です。

もしも、というのは言ってはいけませんが、

もしも、新府城が残っていた現代の様子を想像してみると楽しい物です。



今回は初めてですが、本職のガイドさんに依頼せずに、

同じ夢甲斐塾7期生の真壁さんにガイドをお願いしました。

現場の下見と予習もしていただき、素晴らしいガイドをしていただきました。


真壁先生、有り難うございました!


【3期生活動】出発式

7月10日~11日
県内各地を巡る出発記念バスツアーを行いました。
県立文学館を出発し、長寿の里上野原町棡原の「ふるさと長寿館」へ。
健康食を味わいつつ、長寿の秘訣について山口館長から講義を受けました。
そして、出発式の予定地富士山五合目へ。
塾生が5合目に到着すると同時に雲が消え、富士山頂が姿を現しました。
そして、夢甲斐塾の理念を発表「我々は夢ある未来のために、多くのことを学び自分の夢を育て、自らが主となり行動できる人のネットワークを広げます。」夜は、富士吉田青年の家でバーベキュー、そしてキャンプファイアーを囲みながら、この1年の活動について、これからの夢について語り合いました。
翌日は、旧櫛形町曲輪田の棚田を視察し、出発式ツアーは終了。
これからの3期生の活躍が益々楽しみです。

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【3期生活動】定例会

5月29日
6月定例会を前倒しで開催しました。
7月の出発式は、県内各地を巡ってのバスツアー形式で行うことになりました。
県立文学館を出発
→上野原町棡原で長寿の秘訣を調査
→富士山五合目で出発式
→富士吉田市でキャンプファイアー(宿泊)
→南アルプス市で棚田を視察
→文学館で本当の出発。
塾長と長時間ふれあう最後の機会ということで内容が濃い過密スケジュールになりそうです。

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【3期生活動】定例会

5月18日
上甲塾長が来県しての定例会が富士吉田市の郡内地場産業振興センターで開催されました。
●各チームからの活動報告
・環境・食チーム
 信玄公祭りに参加し、県産材を使った料理を提供しながら、塾のPRを行った。
・人チーム
 3月に防災体験学習に参加。救命措置・ロープの使い方を学習。
 4月に視覚障害者まち歩き体験を実施。
 5月に親子フィールドワークを実施。こどもと父親のふれあい、家族の絆を体感できた。
・地域情報チーム
 小淵沢町出身の浅川嘉富氏を紹介。
 先史文明の遺跡探索を行い、文明消滅原因を調査し、近未来の予言に言及。
 山梨県青年海外セミナー団員募集のお知らせ
●山梨の良いところ、悪いところについて意見交換。
・「無尽」について
 組織の縛りがきつい
 半強制的に参加させられるので、 男性は無尽をいいわけに外出する。
 吉田方面では、女性の無尽活動も盛ん。
 良い面を生かせば、希薄になった地域コミュニティの再生に役立つ。
●夢甲斐塾のあり方
 現在は情報が交錯し、憲法のない国家状態になっている。
 塾生全体を束ねる趣意書を早急に整備すべき。
●塾長講話
 GW中にバングラディッシュの電気のない家でホームステイをした。
 そこでは闇を照らすランプは小さいけれど頼りになる存在。
 →自分だけでも精一杯明るくなる(良くなる)努力をする。
 それにより回りも明るく(良く)なり、ひいては自分の周囲の環境が良くなる。

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プロフィール

夢甲斐塾

Author:夢甲斐塾
夢甲斐塾は上甲晃塾長の教え『自修自得』の心で実践と凡事徹底を基本的な理念としております。

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