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『根津嘉一郎』

※志ネットワーク発行 「デイリーメッセージ平成20年11月号」より

『根津嘉一郎』   平成20年11月24日 6340号

 『出る杭は打つ』といった県民性を指摘される山梨県。確かに、県内の人達の間には、突出を嫌い、“横並び”を好む傾向がある。ところが、県外に出た人には、日本を代表する経営者が多い。“甲州商人”とも呼ばれて、その事業手腕は、一目置かれる存在であった。中でも、かつて、“鉄道王”とも呼ばれた根津嘉一郎は、代表格の一人であろう。
 根津嘉一郎と言えば、東武鉄道の経営者として、その名をとどろかせた人である。山梨県の中央部、山梨市の豪農の出身だ。この十月から、根津本家が、「記念館」として装い新たに、お目見えした。その記念館の前に事務所を構えている、『夢甲斐塾』の塾生である仙洞田氏に誘われて、根津記念館を訪問した。遥かかなたに富士山の頭が見える絶好の立地条件である。周りはブドウ畑に囲まれている。
 根津嘉一郎が生まれたのは、万延元年、一八六〇年。亡くなったのは、昭和十五年、一九四〇年。明治から大正、昭和へと、日本近代化の歩みの真ん中で活躍してきた人である。私は、展示を見ながら、根津嘉一郎の生き方を探った。「この人は、どうしてこれだけ大きな仕事ができたのであろうか。その考え方において、どこが特徴的であったのだろうか」といった目で、メモしながら見て回った。
 まず、父親の教え。「人は短い人生の中に、お国のために何か善いことをしなければならぬ」。父は、子供のころから、“世のため、人のために”という『志』を教え続けてきたのだ。母は、子供を枠にはめるのではなく自由奔放に育てたとあった。
 根津嘉一郎は、上京して、最初のうちは、投機の仕事に力を注いだ。そのころ、「相場などで一時の利を追うよりも、事業を経営し、事業を盛り立てて、真の利益を享受することにせよ」と、郷里の大先輩である雨宮敬次郎から教えられて、投機的仕事からきっぱりと足を洗う。そして、鉄道の仕事にのめり込んでいくのだ。
 「事業をする究極の目的は、決して金を儲けるということではない。国家や社会に本当に裨益しようとする真の目的がなくては栄えるものではない」。これが、根津嘉一郎の事業観である。その一点においては、成功した経営者はすべて共通する。根津もまた、その境地に立って経営したからこそ、今日にまでその名をとどろかせることができたのだ。
 根津は、山梨の人達の間では、今なお、評判がよい。それは、自らが得た利益の大半を惜しげもなく、地域に差し出したからだ。中でも、県下の全校にピアノを寄付したことは、今の語り草だ。
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夢甲斐塾は上甲晃塾長の教え『自修自得』の心で実践と凡事徹底を基本的な理念としております。

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